⑴ 海軍の脚気対策は、
高木兼寛(1849-1920)による。
海軍軍医であった高木兼寛は、白米と少量のおかずが中心だった海軍の食事に洋食を取り入れ、脚気の克服に貢献した¹。
森鴎外(本名:森林太郎,1862-1922)も同様に軍医であったが、高木の脚気対策に痛烈な批判を示していた²。
⑵ 私立栄養学校の最初の設立(1914年)は、
佐伯矩による。
⑶
第二次世界大戦後(1939-1945年)の栄養行政は、栄養改善法による。
栄養改善法が制定されたのは1952(昭和 27)年であり、第二次世界大戦後である。
〇⑷ 1945 年の東京都民栄養調査の実施は、連合国軍総司令部(GHQ)の指令による。
⑸ ララ物資の寄贈(1946~1952年頃)は、アジア救援公認団体による支援で、主にアメリカの宗教団体や社会事業組織の支援により実現した。
国連世界食糧計画(WFP)の発足は1963年で、ララ物資の寄贈があった期間より後である。
参考資料
1 農林水産省. 脚気撲滅への挑戦. https://www.maff.go.jp/j/meiji150/eiyo/02.html. 2022年3月9日閲覧.
2 大井 玄. 軍医森林太郎と脚気. https://www.fuanclinic.com/ooi_h/ooi_q57.htm. 2022年3月9日閲覧.